ヒストリー
AN INNOVATION CALLED PIANO
ピアノという楽器は、決して完成品ではない。
新旧の価値を繋ぎ、日々革新し続ける先に、
究極の一音を奏でる。
それが、私たちの目指す「世界一のピアノ」である。
誰が弾いても同じではない。
鍵盤に向かうピアニストの感性と芸術を、どれだけ
忠実に表現し、聴く人の心が共鳴する音色にできるか。
そこには、KAWAIが絶対に譲ることのできない
「一音の意志」がある。
Shigeru Kawai
世界最高峰の品質と品格を誇る、
クラフトマンシップの結晶。
その核にあるのが、「原器工程」をはじめとする
人の手にこだわり続けた独自の技術。そして
最高の一音を創造するため生涯に渡り
弾き手とともに歩む、第二の表現者「MPA」の存在。
本質を見極める眼、愚直なまでの情熱と誇り、
繊細な心配りがもたらす、人の官能を震わせる響きへ。
VIDEO
There once was a man who devoted his entire life to creating the world’s best pianos.
戦争が終わり、復員した河合滋は、まもなく河合家の養子となる。最初は一作業員だった。 現場に立ち、工場に泊り込み、仲間とともにドラム缶に湯を沸かして風呂に入った。それくらい仕事に没頭し、また、仕事を愛していた。
3年後、義父のもとでピアノの設計を学ぶことになる。 義父は、日本ではじめてピアノをつくった技術者で、「発明小市」といわれた河合楽器製作所創業者、河合小市だった。 ピアノづくりを原点から叩き込まれた。 「木でつくるピアノは、個々に合わせて手でつくらなければならない」「つくる限りは世界一のピアノを目指せ」小市の言葉すべてが、滋にとっては金言だった。 しかし突如、小市はこの世を去る。 不安と絶望に包まれながら、滋は会社を背負うことになる。
その後35年間、社長として彼は全力だった。 業界の“どんじり”と呼ばれた会社を、日本を代表する会社へと育て上げた。ピアノづくりのことを、「青春をかけた大仕事」だといった。河合滋とは、そんな男だった。
先代の遺志を継いだ滋は、1980年、念願のグランドピアノ専門工場を完成させる。 工場正面玄関脇に立てた記念碑には、「世界一のピアノを目指し、ここに竜洋工場を建設す」と刻んだ。敷地内を歩くと、木の香りが漂い、かんな掛けや調律の音が心地良く聞こえてくる。緑に囲まれた環境の中、クラフトマンたちによって、一台一台ピアノが組み上げられていく。
「つくってみて悪ければつくりなおせばいい。」
滋が遺したこの言葉には、この地を単なる工場としてではなく、工房として、ピアノの本質を徹底的に分析・研究し、革新していく場所として考えた熱い信念が込められている。 世界のピアニストを魅了し続けるフルコンサートピアノEX、自身の名を冠した「Shigeru Kawai」グランドピアノは、こうした環境から誕生した。
Pursuing Shigeru Kawai’s vision, the innovation continues.
2006年8月20日、ピアノづくりにすべてを捧げた男が、その人生に幕を下ろした。 残された者たちは、嘆き、悲しみながらも、前を向いていた。そうすることが、彼の想いを継承することだと考えた。 クラフトマンたちは、今この瞬間も、世界一のピアノづくりを目指している。 MPA(Master Piano Artisan)をはじめとする調律師たちは、世界の大舞台でピアニストの繊細な要求に応え続けている。 販売員たちは、ピアノの真の魅力を伝え続けている。
河合滋は生きている。 一人ひとりの社員の中に、世界中のピアニストやピアノファンの中に。そして2012年、またひとつ革新が生まれた。 カワイの技術 の粋が結晶したShigeru Kawaiが、大きくリニューアルを遂げたのである。
ピアノとは、常に進化し続けるものであることの証として。この先もその信念が変わることはない。
1922年(大正11年) 7月28日、静岡県舞阪町に生まれる。
1946年(昭和21年)に河合楽器製作所に入社。
1955年(昭和30年) 先代社長河合小市の後を継ぎ、代表取締役社長就任。
中興の祖として企業の拡大および竜洋工場の竣工などに尽力。
社長職に35年間従事した後、1989年(平成元年)会長に。
2006年(平成18年)8月20日没。